酒井浩の日記2000年8〜9月

 

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2000年 8月2日(水) 
 

今日は何か書きます。

 

予告!

 

と言って何も書きませんでした。(うそつき・・です)

 

2000年 8月3日(木) 
 

どこから知れ渡ったのか、最近いろんな人から「見てますよホームページの日記」なんて言われます。
基本的に一度だけ「Tipo」に小さくアドレスを載せただけなんですが・・・
自分で教える事もあるのですが、知っている人に見られていると思うと結構恥ずかしいものです。
匿名のページにしようかな、なんて訳のわからないことまで考えてしまいます。(どういうタイトルのページにするのやら・・・)

そもそもこのホームページは1996年から車雑誌「Tipo」に連載させていただいていた「酒井浩の世界一速い男への道!」を4年間も続けて自分の都合で止めてしまうので、何人いる分からないけど、それまで読んで応援していただいていた読者の方々にその後のご報告をという気持ちで始めたので、知人友人なんかに読まれるとかなり恥ずかしいのです。。。

ところで、ホームページって管理者専用のページに行くと、毎日どこのサーバ(プロバイダー)からどのくらいのアクセスがあったのかが分かるのですが、(誰がアクセスしてるかまではわからない)毎日誰かからかアクセスがあると思うと、何かちゃんと書かなければ、と言う義務感に駆られて、それがプレッシャーになって書くのが億劫になっているような気がします。


という事に気がついたので、今日からはもっといいかげんに書きます。
(もともといいかげんですが・・・・)

それにしても、日記以外何も無いページです。
サーバ借りて、オリジナルドメインまで取って、これしか内容が無いのも我ながらすごいと思います。

そのうち、時間を作ってプロフィールぐらいは載せます。

 

たぶん ・・・

 

 

2000年 8月6日(日) 
 

最近物忘れが激しい。
もともと記憶力は良い方ではないが、少し病的な感じもするくらい、しゃれにならない。
特にお酒を飲んだときの話は良く忘れるが、人が言った事ならまだしも、自分が言った事まで忘れる事があるのでたちが悪い。
記憶を司る脳の機能に障害があるのだろうか?
このまま歳をとっていくと、近い将来には、今さっき言ったことまで忘れて、何度も同じ話をするようになってしまうのだろうか???
今からでも予防する手だてはあるだろうか?
心配だ・・・・

でも大丈夫。
そんな心配も、きっとすぐに忘れるだろう・・・

 

 

2000年 8月7日(月) 
12号大江戸線特集
 

お互い自宅で働いていたので、昼飯をユベールさんと一緒に食べた。彼はフランス人なのでよく喋る。
日本人のセンスでは、いまいち理解できないユーモアもおかまいなしにどんどん出てくる。
その辺は昔から付き合っているベルギー人と同じような感じなので、特別違和感は無いが、そんなに面白いかというと、そうでもない。

食事も終わりに近づいたところで、隣に座っている二人組みの女性はたぶん中国人だと彼が言い出した。
ぜんぜん気にしていなかったが、彼が話し掛けてみると、彼女たちは雑誌の取材で台湾からやって来た中国人(台湾人)だった。
台湾の旅行雑誌の編集をしているらしいのだが、次号では東京特集をやるそうなのだ。
過去にも2回ほど東京を特集したそうだが、飛ぶように売れたらしい。

今回のテーマは、都営12号大江戸線沿線の特集だそうだ。
大江戸線沿線??  なんかすごい局地的・・・でもないが台湾で出すわりにはずいぶんローカルな特集だ。
しかも、大江戸線なんてまだちゃんと開通していない。

そういえば、以前テレビでやっていたけど、最近は台湾に温泉ブームなるものがあって、ツアーで日本の温泉に入りに来る人達がたくさんいるらしい。
おかげで、バブル時代に立てて経営が危ない地方のホテルや旅館がなんとか潰れずにやっているという話だった。

このまま日本の経済が衰退して、近隣諸国が発展してくると、この国の「観光業」が占める重要度がどんどん大きくなるかもしれない。
とりあえず、これからの日本を支えてくれる海外からの大切なお客様という認識で丁重に対応しておいた。

でも、そう考えると、あれだけブランド品を買いまくって、大金を落としている日本人がヨーロッパで馬鹿にされているのもちょっと納得がいかない。
どんなに物の価値が分からなくたって、お客さまだろーが!

 

 

2000年 8月9日(水)  
シュートしてます

 

最近部屋の中で、壁に向かってビーチボールを蹴っている。
先週携帯電話を「i-mode」に変えたら、おまけで付いてきたやつだ。
うちは部屋が狭いので、いらないものはすぐに捨てる主義だ。
その「NttDoCoMo」のロゴと、変な漫画が書かれたビーチボールもすぐに捨てるつもりだった。
ただ、もったいないので、友達に嫌がらせであげようと思い、膨らませたら、必然的に蹴りたくなった。

蹴ってみると、なかなか面白い。
友達にあげるのはやめた。
それ以来、仕事で行き詰まった時や、イライラしたときは壁に向かって蹴っている。
不思議なもので、いくらやってもなかなか飽きないし、ストレスの発散になる。
蹴っていてふと思った。
これはねずみがケージの中でくるくる回る滑車で走りつづける行動と一緒なのではないだろうか?と
要は動物なんてどれもそんなに変わらないんだな(自分だけかもしれない)と変に納得してしまった。


あの滑車の大きいやつを人間用に作って売り出したらどうだろう?
深夜のテレビショッピングで9800円だったら買いませんか?

 

 

 

2000年 8月10日(木)  
あいもーど

 

携帯をI-modeに変えてから1週間ぐらいがたつ。
通常使っているメールも転送する設定にしたので、メールが来るとリアルタイムでピロリロ音が鳴って教えてくれる。

便利だ。

昔はメールアドレスなんて持っていても誰にも教えなかった。
メールのチェックなんか毎日やりたくなかったからだ。
1ヶ月ぶりにチェックしたら3週間前のパーティーのお知らせなんかが入っていた事もあった。
送った人は怒る。
「メールしたのに返事が帰って来ない!」と

怒られるくらいだったら教えない・・・・・

毎日チェックしなきゃいけない義務に縛られるのも嫌だった。
そんな自分が、今ではパソコンの前で一日中仕事をしながらメールが来たらすぐに送り返している。

インターネットに繋がりっぱなしのパソコンの前で仕事をしている友人には、チャットのような感じで話をする。
大事な用なのに返事がないと、ちょっと頭に来る・・・・
人間は勝手だ。(自分だ)

ちょっと昔は携帯電話を持っていると「すごい」とか「嫌味なやつだ」とか言われたが、 今では「なんで携帯も持っていないんだ」と怒られる・・・

携帯電話もインターネットも確かに便利だ。
でも・・・

なんて書き続けてもつまらないので、この話は終わりです。

 

2000年 8月14日(月)  
惨敗

 

現在の仕事関係で知り合った人とメールをしていたら、日曜日のF1ハンガリーGPで誰が勝つか賭けようという話になった。
自分が持ちかけたのだが、そのほうがテレビでレースを見ていて2倍楽しめるからだ。
賭けは晩飯を1食、で僕はクルサード、彼がシューマッハで行く事になった。
ちなみに、予選は1位がシュー、2位がクルサード、3位がハッキネン。 シューに賭けた彼は元ゴールドマンサックスの営業をしていた方で、さすがお金持ち、現在F355のオーナでもあり、大のフェラーリファンだ。

そこで話が終わっていれば良かったのだが、もうひと方参加することになり、その人がハッキネンに賭けた。
非常に嫌な展開だと思った。ハッキネンは勝ちそうな気がした・・・
僕がクルサードに賭けたのは、そのほうがテレビを見ていて面白いからだ。
ポールを獲ったとはいえ、チームメイトのバリチェロがトップから0.8秒も遅い5位のフェラーリのマシンが優勝するとは思えなかった。
レースでは特にハッキネンが安定して速いが、そこに賭けたのでは面白くないので、フリー走行から快調のクルサードにしたのだ。
きっとシューといいレースをしてくれるだろう。

夜家に帰って、F1を見ようとテレビをつけると、もうレースは終わってハッキネンがインタビューに答えていた。
どうやら奴は優勝したらしい・・・

僕はめでたく食事を一食ご馳走させていただく事になった。
考えてみると、賭けをする事によって、テレビでレース観戦を倍楽しむという目的も果たせず(放送時間を確認していなかった自分が悪い)負けてご馳走する羽目にもなり、あんまりよろしくない。

賭けといえば、1992年にフランスでレースをしてにいた頃に、当時国際F3000を走っていたデビットクルサードとモナコグランプリで誰が勝つか200フランを賭けたことがあった。

その話はまた明日。

 

 

2000年 8月16日(水)  
謝罪

 

ごめんなさい。
忙しくて書いてる暇がありません。

昨日の話の続きを一瞬だけ。
当時僕はフランスに住んで、フランスF3選手権に出場していたのですが、F1モナコグランプリが行われた時に、日本から来た知り合いが通訳としてモナコに呼んでくれたのです。

通訳の相手は当時ジャッキースチュワートのチームで国際F3000に出場していたデビットクルサードと日本のスポンサー。
場所はヘアピンコーナーの前にある「ローズホテル」でした。

つづく

 

2000年 8月17日(金)  
マクラーレンMP?

 

四角い顔をしたその人は、丁寧で、人に気を遣ういい奴でした。
仕事の話が終わったところで、二人で今回のグランプリで誰が勝つか、200フラン賭けようという話になり、 僕はその年不調だったセナ、 彼は絶好調のマンセルに賭け、話が決まったところで予選を見にホテルの屋上へと向かいました。

つづく

 

2000年 8月21日(月)  
後悔

 

屋上に行くと、なんと良く見える事。
たぶん16戦中F1が最も遅く走るコーナーを真上から観察できるこの場所は観戦ポイントとしては一番面白いのではないでしょうか。
各ドライバーのステアリング操作やブレーキングなど、セッティングやドライビングの違いが一目瞭然です。

あれだけ狭くて鋭角的に曲がるコーナーだと、どんな車もアンダーステアが出るし、ドライバーによっては曲がりきれずにリバースギアを使って切り返す光景も珍しくありません。
それを、なんとか少しでも速く走るためにみんな思考錯誤しているのですが、 一番大切なのはスピードコントロール。ブレーキングによる絶対スピードと減速荷重のコントロールです。


僕がうまいと思ったドライバーはセナとステファノ・モデナでした。
ただ、それはあくまでもドライビングであって、車の良さではありません。
他のドライバーが全神経をブレーキングに集中させて、適切な速度に減速して、なんとかコーナーを抜けていく一方、ウイリアムズのマンセルとパトレーゼだけは、ほとんどテキトーに見えるほどしか減速せず、ただハンドルを切れば簡単に曲がっていくという感じでした。
コーナリングスピードの違いは一目瞭然で、予選でもマンセルはダントツ。
モナコは予選結果が命なので、これは馬鹿な賭けをしたもんだとちょっと後悔するのでした。

つづく



 

2000年 8月26日(土)  
勘違い

 

もう土曜日です。
毎日見てくださっている方、すいません。
最近は一日中、食事もできないくらい働いているんです。
あと、2週間ぐらいで、自分の新しいビジネスをスタートしたいので、がんばっているのですが、無事に始まったら、お知らせします。

 

つづき

モナコの街があまりに混んでいたので、帰りの渋滞を心配して翌日の決勝は家に帰ってテレビで観戦する事にしました。
今考えるとすげーもったいない話しですが、そもそもぜんぜんミーハーではない僕はモナコグランプリなんて言ってもいつもの街がただ混んでるだけで、群衆の中でレースなんか観戦したくないという冷めた人間でした。(群衆の中って言ったってあのヘアピンコーナーの前の部屋のバルコニーと言う絶対予約も出来ない特等席だったのですが・・・)自分が普通の一般人であることに気が付いた今では考えられない事です。。。

それはさておき、レースは予想していた通り、ポールポジションからウイリアムズのマンセルが独走体制。
狭くて難しいモナコのコースを得意とするセナでも全く歯が立たない様子。
でも、ドラマはレース終盤に訪れました。
確かタイヤがパンクしたか何かと勘違いしたマンセルが、本来ピットインするはずのない周にピットへ入ってきてしまったのです。

 

2000年 8月28日(月)  
猛追

 

ピットインしてタイヤを交換するマンセルを横目に、2位だったセナはメインストレートでトップに立ちます。
4本のタイヤを交換して直ぐにピットアウトしたマンセルはセナを追いかけますが、その速さは尋常ではありませんでした。
確か残り10〜15週くらいでの出来事だったと思いますが、ただでさえ速いマシンに乗るマンセルが、ガソリンが減って、しかもニュータイヤの状態です。
ファーステストラップをバンバンたたき出して、一周につき4秒もセナとの差を縮めていきました。
その追い上げはテレビで見ていても、ものすごい気迫を感じました。


時間がないので、またつづく

 

2000年 9月6日(火)  
逃げ切り

 

あ〜、、もう9月6日です。
いったい何日間書かなかったんだろう・・・・(毎日チェックしてくださっている方すいません。)

つづき

で、その後の展開はというと、ラスト2〜3周でセナの背後に追いついたマンセルが、猛烈にセナにアタックをし掛けます。
見ていて、まさに手に汗握るデットヒート。
特に僕は200フランがかかっていたので、身を乗り出して、テレビに向かって叫ぶくらいの力の入りようでした。

後方から迫るマンセルの速さは圧倒的で両者のスピードの差は明白でしたが、しかしそこは抜きどころの少ないモナコのコース、セナの懸命なブロックにマンセルの立ち入る隙はありません。
結局、セナは、最終ラップの最終コーナーを背後にぴったりと貼りつくマンセルを従えて立ち上がり、トップでチェッカーを受けたのでした。

一人画面の前で両手を上げて勝利のポーズで叫ぶ僕。
あんなに興奮してテレビでレースを見た経験は、過去にも先にもありませんでした。

 

つづく

次はもっと早く書きます。

 

 

2000年 9月13日(水)  
200フラン

 

結局前回書いてから1週間以上が経ってしまいました・・・

で、その後賭けはどうなったかと言うと、僕はフランスF3、クルサードは国際F3000に出場していて、住んでいるところもフランスとイギリスと離れていたため、全く会う事無く時が過ぎ、賭けの事は完全に忘れてしまいました。

でも、ある時フランスの田舎町「ポー」というところで、フランスF3と国際F3000が同時開催の市街地レースがあったのですが、そのときに賭けで負けた200フランを払いに、わざわざクルサードが僕のチームに来てくれたのでした。


ほとんど忘れていた僕としてはちょっとびっくり。
なんていい奴なんだと感心してしまいました。

その時の記憶があるので今でもF1を見るとついクルサードは贔屓して見てしまいます。

おしまい

92年市街地レース「ポー」で僕が走った写真

 


 

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